はじめに:友人の婚活が一旦終了
本ブログで度々登場している婚活中の友人が,ついに婚活を終えた. 地獄のオンライン婚活の記事をこちらに再掲する.
本記事では,友人の友人という立場から,今回婚活を終えることができた3つのポイントを示す.
友人の友人からみた婚活終了の3つのポイント
婚活市場に居続ける人とそうでない人の違いだと理解しているので,婚活中の多くの人の参考になると思う.
1. 婚活市場にいる人のクオリティを把握したこと
慶應文系・上智英文科・それ以外の大多数の集団の女性のクオリティ(ここでは,知性・ビジュアルとする)の差は歴然としている(執筆者調べ). 知性・ビジュアルの観点で,慶應文系・上智英文科の偏差値50の女性は,それ以外の大多数の偏差値65を越えていると言っても過言ではない(執筆者調べ),
何が言いたいのかというと,自分が身を置いている集団のクオリティの分布を正しく把握できているかということである. 慶應文系・上智英文科の偏差値50を普通と感じて,世の中に飛び出してしまうと厳しい現実が待っている. 同じように,婚活市場に慶應文系・上智英文科の偏差値50相当がいることを期待して飛び込むということは,それ以外の大多数の偏差値65相当を期待しているのと変わりない.
自分の選択肢になりうる人がどの程度分布しているのか正しく把握できないと,いつまでも存在しない理想の存在を追うことになりかねない.
2. 婚活市場にいる美人≒懸念事項がある人であることを把握したこと
特に,マッチングアプリあるあるだが,申し訳ないが美人は問題がある可能性が高い. ここでいう問題は2つある.
- 遊び半分で参加している人
- 人間的におかしい人
1は仕方ない.美人なのでチヤホヤされるし,チヤホヤされるなら参加したいというループに入る. 2も論理的に考えれば当たり前である.人間的におかしくなければ,婚活市場に突っ込む前に誰かに掴まれるはずである.
あとは別の観点で言うと,美人は恋愛に関して努力することを放棄している傾向にある. これも論理的に考えると当たり前で,美人であるがゆえに努力不要であることが人生経験上多いからだ.
これを分かって,美人に手を出す or notは個人の判断である.しかし,これを理解していないと無駄な時間を過ごすことになる.
3. 自分を鏡で見れたこと
これが一番大事.自分のスペックに見合った人と付き合えるかどうかである.
「自分のスペックに見合った」というのは個人が判断することであるが,要する自分を棚に上げて相手を見るなということである.
同じスペック = 平均時給が同じほうが幸せである,ということについて執筆した記事も参考になると思う.
さいごに:スタート地点に立っただけ
婚活市場から抜け出すことはできたが,ゴールである結婚に対してはスタート地点に立っただけである. そして,その結婚もゴールであるかどうかは疑わしい. 結婚をゴールにした婚活に幸せはないというのが私の持論だ.